そして2004年は死んだ…。


現在も机にただしがみついているだけである。

耳栓とヘッドフォンをして無音を聞いているだけなので街の騒音も家の音もほとんどしない。自分の呼吸と椅子が鳴るだけ。

暮れだとか新年とかいうハレの気配を失って二年目。
毎回、己の愚かさ加減に吐き気を催しつつ、愚行のくりかえしである。

既に何の晴やかさも有り難くはない歳に差し掛かっており、その意味では半分死人と同様であろう。

樹海で見つけた人骨の成れの果てに〈ほっ〉とする自分に呆れたりもした。


去年もいろいろとしたようであるが、思えば屁のような人生。
いくらなにかを積み上げたとしても最後には0をかけて帳消しになるであろうことだけは確かだ。

昨年のトピックは「超怖い話」「東京伝説」が続けられたこと。
刊行後、小川女史に「次もいけそうです」と言われるまでの十日ほどが憂鬱であり、
やっぱりダメかな…と諦めに身を揉む時期でもある。

実話怪談が花盛りと言われる一方、純愛路線も狂い咲きである。
世間というものの振り子の振幅がここまで激しいことが最大の天変地異であろうと思う。人間の精神が怒濤の如く崩壊する予兆である。
既に感動するためならばジャンルは厭わぬ人も増えた。
いつか殺人鬼が動機を問われ「感動したかったから」という日も近い。
質的変化の時期は既に過ぎ、我々は父親の世代とは違う種になったのだ。


最近、近所の爺に「あの時もこういう感じで止められなかった。誰もどうやって止めていいのか判らず。ただ政治が悪い。東条が悪いと言っていたら国ごと奈落に引っ張り込まれたんだ。あの頃も今も自分たちがどうすれば、あの悪い奴らを止められるのかわからない。戦後、何も学ばなかった」と言われた。


私は年に何度か、とても犬が羨ましくなる時がある。
そんな時はたいてい酷く落ち込んでいるか、鬱っている時だと最近、気がつく。
鬱るんです!みたいな気分の時がそう。



友人のひとりが発狂し始めている。
言動を見るとまさに妄想の底なし沼に沈んでいくのを感じさせる妥協と詭弁と怯懦のオンパレード。仲間が増える楽しみが増えた。



体の調子が戻らない。腸炎ウィルスが肺に回ってしまったのである。


今年は必ず小説をだしたい。


今夜が初夢ですから…。みなさん、頑張りましょう!!